2013-05-11 三鷹事件学習交流集会
_ 「第二次竹内景助氏再審申立事件」の弁護団長、高見澤昭治弁護士を招いて三鷹事件学習交流集会が三鷹市公会堂・さんさん館(旧公会堂別館)で開かれ、雨の中会場一杯の60人近い参加者がありました。
「DVD・三鷹事件」の上映後、代表世話人の堀越作治さん(元朝日新聞編集局次長)の挨拶で学習交流集会がはじまりました。
今回の企画は一昨年、三鷹事件被告竹内景助氏の再審請求が起こされ、私も参加している「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」も再審運動に取り組んでおり、今日の学習交流集会となりました。
高見澤弁護団長から三鷹事件(1949年7月15日)の再審請求後の報告と今後の取り組みについて、当時国鉄職員として事故現場の救援・復旧活動を行なった荻原時次郎さん(元八王子機関区)の証言「なぜ、三鷹電車区の職員でなく、遠い八王子機関区の職員だったのか?」の話は多くの謎に隠された三鷹事件の真相に迫るものでした。
事件当時21歳の小川秀男さん(元三鷹市議会議員)は、犯人とされた竹内景助さんの救援活動を地域で行なった貴重な内容が報告され、三鷹事件が「何者かによって仕組まれた事件?国家権力・GHQ?」で、「真犯人」に仕立て上げられたのが「竹内景助氏」であったことを証明するものでした。
三鷹市民6人が犠牲となった電車暴走転覆事件。当時、下山事件、三鷹事件、松川事件と立て続けに起きた事件の「真犯人」が明らかにされていません。
三鷹事件の証拠資料はいまだ、検察庁の倉庫に眠っています。戦後の歴史を明らかにするためにも三鷹事件の再審と真相究明が重要です。裁判を公平に進めるためにも、検察がすべての資料提出すべきとを強く求めるものです。
電車が暴走転覆した三鷹駅周辺で事件当時を証すものは唯一、同じ場所に立っている駅前交番だけです。事件の碑さえありません。
「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」は7月15日、「三鷹事件現地調査」を計画しています。


